名古屋の歴史
古くより穀倉地帯であった濃尾平野の中心地で、15世紀には戦国大名の織田氏により統治され、織田信長はこの地を足がかりに天下統一に着手しました。
そして、農民出身で信長の家臣となり、信長の後をついで天下統一を果たした豊臣秀吉は現在の中村区の出身です。
名古屋の観光名所の代表格でもあるである名古屋城は秀吉の死後、関ヶ原の戦いによって実権を握った徳川家康が何かと水害など問題の多い清洲から慶長14年(1609年)11月16日に陸海の連絡の利便性も良いことから築城・名古屋遷府を正式に発令しし築かれたものです。
その後モノづくり文化が花開き、商業、工業が栄えるとともに、近世武家文化の薫りも色濃く残る、産業と文化が調和した我が国を代表する大都市として発展・成長を遂げてきました。
現在の名古屋はそうした先人たちの絶え間ない努力と知恵によってもたらせれたものといえるでしょう。
そして名古屋は、日本を代表する“物作りの町”である一方、歴史的にとても深みのある街でもあるのです。
名古屋の観光名所や観光スポットでは、多くの古墳や、近世の街道の面影を残す町並みが残っており、町歩きがとても楽しい街です。
そして平成21年、あの「名古屋弁」で全国的に有名になった河村たかし氏が市長となり、平成22年には開府400年を迎え、全国的にも注目を集めています。
また、名古屋観光名物といえば名古屋祭りの「郷土永訣行列」。
秋に催される「名古屋まつり」最大の呼び物は、郷土が誇る三英傑 「織田信長」 「豊臣秀吉」
「徳川家康」 が鎧武者など総勢700人を従えて街を練り歩く 「郷土英傑行列」 です。
陣羽織姿の 「少年鼓笛隊」 を先頭に
華やかな 「シャチばやし隊」
天下統一の基礎を作った 「織田信長隊」
天下を平定した 「豊臣秀吉隊」 が続き
徳川300年の太平を築いた 「徳川家康隊」
が行列を締めくくります。
また、行列の途中では、戦国時代の合戦を再現した演技も行われ、祭りを盛り上げます。
皆さん普段からかなりの練習を積んでいるようで、真剣に演技をしている姿は見ていて気持ちのいいもので、けっこう迫力があります。
たまに張り切り過ぎて客に引かれてしまっているキャラクターもいましたが・・・
名古屋の女性は美人が多いことで有名
名古屋は美人が多いと聞いて、エッって思う人は30代以上の人で、かつて以前なら、「名古屋ブス」で日本3大ブス産地(他は仙台、水戸)と呼ばれたくらいだったのです
ところが、明治、大正時代までは「中京美人」「名古屋美人」とも呼ばれていたのです
芸能界を見渡すと、香里奈、加藤あいなど人気美女タレントも多く発掘されており、全国からも名古屋の美女に注目が集まってきています。
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