開府400年を記念して名古屋城期間限定公開

名古屋開府400年のクライマックスとして、名古屋城本丸御殿「「玄関の復元過程」が特別公開されました。この本丸御殿は400年前、天守閣の南に設けられた将軍や有力大名のための迎賓館です。豪華な内装でも知られ国宝第一号となりました。しかし戦火で焼失してしまい、このたび復元することになったものです。
今回工事現場の様子を見学してきましたのでご覧ください。
おそらく2度と見ることができないと思われる部分です。

竹林豹虎図玄関二之間には、一之間とあわせて「竹林豹虎図」が狩野派により描かれていました。
壁面に直に貼り付けられていたため、戦災で失われてしまいましたが、焼失前の写真などをもとに復元模写を行い、400年前の鮮やかな姿を蘇らせました。
見る人を威圧するような勇猛な虎は、藩主に会う前の来訪者の緊張感を高めるとか。


本丸御殿下から順に礎石、束、大引、根太(ねだ)が組まれ、床の荷重を支えています。これらの部材の多くはヒノキ材です。このあと床材を張り、一之間・二之間にはそれぞれ18枚、28枚の畳が敷かれています。礎石の下にはコンクリートが見えますが、この下には焼失した本丸御殿の礎石が眠っているそうです。焼けてもろくなり使うことができないので大切な遺構としてそのままの状態でコンクリートの下に保存されているそうです。

本丸御殿玄関の柱には、約20cm角のヒノキが使われています。当時の本丸御殿には、後に尾張藩の御用林となった「木曽」(長野県木曽地方)、「裏木曽」(岐阜県中津川市)の名木「木曽ヒノキ」が使われたとされています。木肌が美しい木曽ヒノキは、古来より重宝され、日本の木造建築文化を支えてきました。今回の復元事業においても、柱など見える場所に使う木材は、可能な限り木曽ヒノキを使うことにしているとか。

本丸御殿

天井裏には天井板が張られるため、天井裏の様子は今しか見ることができません。梁や桁のほかに束、母屋、垂木など数多くの木材が組まれ、大きな屋根を支えています。本丸御殿はまさに大きなジグソーパズルのような感じに造られているのです。日本建築は”再利用”の考え方があります。したがって、接着することをしない代わりに取り外しが利き、さらには再利用することもできるという非常に合理的な伝統工法です。

本丸御殿本丸御殿の壁は土壁です。表面に漆喰を塗って仕上げます。現在は、竹を細く割った「小舞竹」という壁の下地となる部材が組まれた状態で、今後はこの上に壁土を塗る作業に入ります。荒壁塗、貫伏せ、班直し、中塗りなどの多くの工程の中で縫っては乾燥させることを繰り返し、最終的に漆喰で表面を仕上げ、白く平らな壁が出来上がります。

本丸御殿

外から見た本丸御殿の玄関部分の復元工事の様子です。ご覧のように非常に大掛かりな工事となっていて、多くの職人が一つ一つ丁寧に手を加え、いくつもの工程が繰り返され、2013年には完成予定となっています。

本丸御殿これが完成イメージ。2009年1月にスタートし、2018年(平成30年)の全体完成に向けて着々と工事が進んでいます。名古屋城をバックに眩いばかりの本丸御殿が完成するのが待ち遠しいです。

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